- 1932年フランス映画
- 監督/脚本:ジャン・ルノワール
- 撮影:M・リュシアン
- 主演:ミシェル・シモン/シャルル・グランヴァル
放浪者がセーヌ河に身投げしようとしている。それはマスキングによって円く縁取られ周りから孤立され、放浪者の惨めさを強調する。
そんな説明がついてジェイムズ・モナコの「映画の教科書」にはそのまさに放浪者が飛び込もうとするショットの写真が載せてありました。初めてジェイムズ・モナコの「映画の教科書」を読んだとき、その映画を実際に観ることになるとは思ってもみませんでした。
印象的なのは白黒の映像の鮮やかさです。1996年に撮られたと説明されても信じてしまうほどの鮮やかさです。特に子供が水遊びをするシーンでの、水のくっきりした透明感は印象的でした。
そして街ノイズ。冒頭フルートの音が途絶えて、街ノイズが立ってくるところは感動的でした。もっともこれは僕だけの感じ方かもしれません。
放浪者がパリの街を彷徨うシーンでは映像と街ノイズがエリック・ロメールの「モンソーのパン屋の女の子」1962でのそれらを彷彿とさせました。30年の時を隔てて二つの映画が僕の心の中で共鳴しました。
僕はこの映画を観ながら、一番好きだった頃の寅さんを思い浮かべました。
庶民の娘が勤めている会社の社長の息子に見初められる。その青年は嫌みがなくとても感じがいい。青年は娘との結婚を真剣に考え、自分の家族と娘の家族を食事の席を設けて会わせる。そこで登場するのが娘の兄である寅さんです。娘のいってみれば放浪者である兄は不作法に振る舞い下品な話題を持ちだし、ついには青年実業家の母親に吐き気をもよおわせて、食事の席を目茶苦茶にしてしまう。当然娘の両親はかんかんになる。でも娘はそんな兄を讃美するのでした。
最初この映画を観たとき、僕は釈然としませんでした。時が立つにつれ娘が兄を讃美したのを理解できるようになりました。
この映画の放浪者もかなり不作法です。なにしろ命の恩人の男の妻を寝取り、男の愛人を自分の妻にしてしまうのですから。
素晴らしいどころか不愉快な放浪者ですが、放浪者は財産を手に入れ若く美しい妻も手に入れた瞬間、川に流れる花に誘われるようにして再び放浪へと戻るのです。放浪へと戻ったとき初めて放浪者は生き生きとしてカメラは陽光にきらめく川面を捉えるのでした。
僕は昔観た寅さんの映画が初めて十全に理解できたような気がしました。
1997/01/15